新・まんがなるほど物語

若林志穂さんのファンになるきっかけとなった。
この番組を見ていなければ、良くも悪くもまったく違った生活をしていたことだろう。


1988年3月26日。
いつものように「まんがなるほど物語」本編を終え予告が始まるかというとき、唐突に新番組のお知らせになった。


それが「新・まんがなるほど物語」


内容は変わらないが、ナレーターが野沢那智からTBSアナウンサーの小島一慶に、お姉さん役は倉沢淳美から若林志穂にそれぞれ変更になるとのこと。
経費削減の意味もあったのだろうか。
当時の正直な感想だが、今の自分からは考えられない。


「誰だこれ*1、何で倉沢淳美変えちゃうの?」


当時の自分をぶん殴ってやりたい。
すぐに考えを改めことになるけれど、申し訳ないがキャスト変更のメリットがまったく思いつかなかった。


1988年4月2日。
「新・まんがなるほど物語」第1回放送。
オープニングが流れるが、歌っているのはチェリッシュ。


「あれあれ、今まではお姉さん役の人が、少なくとも一度は歌っていたのに、この人は主題歌もなしか」


結局エンディングもチェリッシュによる歌唱。
この件に関しては、本当に残念に思っている。
ぜひともリアルタイムで若林志穂さんの歌を聞いてみたかった。
主題歌を歌っていたなら、確実にレコード(すでにCDか)を買っていたはずだ。


その時点でかなりの不信感を得ていたにもかかわらず、視聴習慣というのは恐ろしい。
当時、土曜とはいえ夕方5時30分に帰宅できなかったが、リアルタイムで見られないのに、わざわざ録画してまでも見るのをやめずにいた。
そもそも、途中でやめたり捨てたりといったことが極端に苦手な性質ではあったが。



人間不思議なもので、そうやって見続けていると、なんとなく新しいお姉さんに親近感が沸いてくる。
新番組予告での自己(役柄)紹介「ちょっぴりドジなお姉さん若林志穂」というのが耳に残っていたけれど、この人はドジでだしおっちょこちょいだけど、時折凄みがあったりで見てて面白いぞ。
しかもけっこうかわいい。
そう思うようになっていった。


「ぼくの絵私の絵」という視聴者からおくられた絵を紹介するコーナーがあり、そこでの
「採用された方にはテレフォンカードを差し上げます」
のコメントが新鮮だった。
当時は「テレホンカード」と思っていたから。
その「フォ」に惚れたといっても過言ではない。


「包丁・まな板」で刃先をナルタンに向けたまま前進してきたり、「忍者」でゲームがうまくいかないのをキャラクターの忍者のせいにしたり、「龍(ドラゴン)」で自分のことを「美しいお姫様」といったり、……あれ、なんか危ない人だな。


「橋」の回で、待ち合わせに遅れてきたナルタンに向かって言う
「ナルタンが遅れたからいけないのよ!」
にはゾクッときた。
俺も待ち合わせして遅刻してののしられたい、とちょっとだけ思った。
でもそんな機会があったら絶対に遅刻しないけれど。


「お米」の回の演出のすばらしいこと。
ナルタンの視点でお姉さんと向き合えるとは。
これが決定打だったのかもしれないな。




1988年は、「まんがはじめて物語」シリーズが始まって10周年。
年明け最初の放送で、「まんがはじめてなるほど10周年スペシャル」が放送されるはずだった。
放送予定日は昭和64年1月7日。
30代以上の方はおわかりですね。
そうです、
昭和天皇崩御の日です。
前年の9月に倒れて以来、毎日血圧や下血量など、逐一報道されていたが、ついにこの日が来た。


天皇陛下死んだよ」という母の声で目覚め、テレビを見ればどのチャンネルもみな一斉に追悼番組になっている。
自分が生まれてからももちろん、テレビ放映が始まってからも初めての天皇崩御
このあといったいどんな報道体制が敷かれるのかまったくわからない。
そんななか、普通に予備校の冬期講習に出かけなければならない自分の行動が、なんとも不思議なことに思えてきた。


さて、「10周年スペシャル」は放送するのか?
冷静に考えれば放送されないことはわかっていたはず、なのだが、とりあえず録画の予約をして家を出た。


冬期講習自体は何事もなく、本当に何もなかったように普通に行われた。
昼休みに近くのデパートにある市民ホールに行くと、人もまばらで、スクリーンに崩御のニュースが流れているのを見て、やっと現実として受け入れられるくらい普通の生活。


やはり「10周年スペシャル」が放送されなかった。
このまま中止なのか、日を改めて放送するのかもわからない。
当時はインターネットもない。
変更があったところで新聞のテレビ欄に注目するしかなかった。


1月7,8日は丸々特別番組となった。
レンタルビデオ店が繁盛したという話が有名だが、すべてのテレビ局のすべての時間帯が追悼番組になったのではそういうことも起こるのか。
我が家では、これからどうなるのかも含めて興味があったから、テレビに釘付けになっていた。


その日は突然やってきた。
月曜日*2の夕方にテレビをつけると、晴れ着を着た人がたくさん。
よく見ると松居直美が。
これはもしかして「10周年スペシャル」か。
新聞のテレビ欄を見ても何も書いてない。
いくらなんでも急すぎるだろう。
これは録画しておきたかった、というか、すでに2/3終わっている。
すると、森川由加里がやってきて「来月からよろしく(意訳)」


え? 終わるの? 3月までじゃないの?
けいおん!!」が終わるとかそんなレベルじゃないよ。 
今なら番組が終わっても情報があふれているし、インターネットなんて便利な道具もある。
でも、当時そんなものもなく、アイドル誌が存在していることすら知らず、この子の情報はどうすれば手に入るかすらわからない。
受験前に何をくだらないことで悩んでいるんだと今なら思えるけれど、当時は本当に切実だった。
こんなにも芸能人に入れ込んだことはなかったから。
免疫がないってのは本当に厄介なもんだ。
では、その気持ちをどんな行動に移したか?
初めてファンレターを書いてみた。
事務所はわからないので番組宛に。
本人に届いたのかもわからない。
内容はもう覚えていないけれど、すごくはずかしいことを書いたような気がする。
若気の至りというやつか。



最後にオカルト話。
昭和天皇崩御は1月7日土曜日午前6時33分。
7日8日の2日間はテレビ・ラジオも特別番組、歌舞音曲を控え喪に服すということになった。
当然のように経済活動はほぼ停止することになる。
しかし偶然にも松が明け、冬休みが終わる直前の土日だったため、ほぼ影響はなかった。
正月のさなかだったり、通常の社会活動が始まってたらさらに大変な騒動になっただろう。


本当に偶然だったのかなあ。


今回の記事はほぼ記憶に頼って書いていますが、サブタイトルや細かい日付などは、モグベエさんの「不思議な旅」内の「『まんがはじめて物語』シリーズの部屋」を参考にさせていただきました。

*1:名前だけは記憶していたけれど、「前に昼ドラに出てたかな?」程度。

*2:参考にしたサイトには「3日後」とあります。あくまで自分の記憶では月曜日。