タイミング

出会いというものはタイミングなのだろう。
若林志穂さんのファンになったきっかけは、以前にも書いたように「新まんがなるほど物語」なのだが、その時点でデビュー後4年が経過しており、新人のころを知ることはなかった。
後にいろいろな資料を手に入れ当時を推測することはできたが、時代をともに感じることができなかったことは残念だ。
そういうことを通じて思うようになっていったのが、古本や中古レコードばかりで本人に還元できなかったということ。
タイミングを逸しただけではあるが、勝手に申し訳なく思う。



そのタイミング。
小学校高学年から中学にかけて、松田聖子小泉今日子らがデビューして、彼女らが出演する歌番組もよく見ていた。
しかし、高校受験も間近になると、テレビを見る機会も減り、ラジオに親しむようになっていった。
そのころ、若林志穂さんもラジオのDJをやっていたはずだが、悲しいことに我が家では文化放送がほとんど受信できない環境にあった。


もし受信できていたら聴いていたろうか?
もし聴いていたらそこでファンになったろうか?



1985年。
斉藤由貴ほか「卒業」というタイトル(の別曲)が同時期に4人の歌手によってリリースされた。
斉藤由貴の「卒業」は、初めて聞くメロディラインに驚き感動したものだった。
さてそれと同日に発売されたのが、若林志穂さんの「テレフォン・キッス」
そのころはレコード店に足を運ぶという行為すらしなかった。
デビューしたことも、レコードを売っていることも知らなかった。


もしレコードを売っていることを知っていたら買ったのか?
もし曲を聴いたならファンになったのか?


答えはともに、否だ。


曲に関してはかつてここでも書いたように、冷静に公平に聴くと決して上手だとは言いがたい。
「テレフォン・キッス」の歌唱スタイルがすきなのは、若林志穂さんのファンだからだ。
アイドルには必ずしも歌唱力は必要だとは思わないが、それでも自分の感覚に照らし合わせて好みかどうかが問題になる。
まったく知らない人なら、そこまで好きになれたかは怪しいところ。
ラジオも同様だ。


きっかけとなった「新なるほど」だって、まったく知らなかったとしたらここまでファンになっていたかどうか。
その2年前、母が見ていた「わが子よⅥ」でその名を聞いて記憶に残っていたからこそ、見る目が違ったのかもしれない。
絶妙のタイミングだったわけだ。


ということは、最初からファンになって貢献することは、どのみちできなかったのか?
それはそれで、非常に悔しい。